7.瓦に刻まれた人々
瓦に刻まれた人々
本遺跡の正倉中には、1棟だけ瓦を葺いた大型の礎石建物がありました。その建物跡からは、文字を刻んだ文字瓦が出土しています。これまでに約2,300点出土しており、その多くは人名が刻まれたもので100名ほどの氏名が確認されています。氏名の特徴や標記の仕方などから、当時の河内郡内に居住していた人々であろうと考えられています。
古代の役所跡からこのように多数の人名が確認されるのは、全国的に見ても稀なことで、当時の費用負担のあり方もしくは労役の実態などを示すものとして非常に貴重な資料とされています。なお、これらの瓦は、本遺跡の北方約13kmの水道山瓦窯で生産されていたことが分かっており、田川を使って本遺跡まで運ばれたと考えられます。
名前をみてみると、「万呂[まろ]」と付く名前が多いことが分かります。大宝律令の編纂に関わったとされる下毛野古麻呂[しもつけのこまろ]がいるように、当時流行の名前だったのかもしれません。これらの氏名以外にも、押印された文字瓦や役職を刻んだ文字瓦なども見つかっています。
※瓦に刻まれた「マ」の文字は、「部」のつくりのみを省略して刻んだもので、表記上カタカナの「マ」を用いています。
※瓦に刻まれた氏名の判読は、今後の新たな研究成果により変更されることもあります。
古代の役所跡からこのように多数の人名が確認されるのは、全国的に見ても稀なことで、当時の費用負担のあり方もしくは労役の実態などを示すものとして非常に貴重な資料とされています。なお、これらの瓦は、本遺跡の北方約13kmの水道山瓦窯で生産されていたことが分かっており、田川を使って本遺跡まで運ばれたと考えられます。
氏別文字瓦出土数
本遺跡でこれまでに出土した文字瓦約2,300点のうち、氏名等の判読が可能なものは1,373点あります。そのうち、もっとも多く見つかっている氏は「酒マ[さかべ]」です。当時の河内郡にあった10郷のひとつである酒部郷と関連のある氏ではないかと考えられます。第3位の「丈マ[はせつかべ]」、第4位の「白マ[しらべ]」、第6位の「大麻マ[おおおみべ]」も同様に、丈部郷・真壁(白髪部)郷・大續(大麻)郷との関連がうかがえます。第2位の「雀マ[さざきべ]」、第7位の「神主マ[こうぬしべ]」は、宇都宮市雀宮や上三川町上神主・下神主といった現在も残る地名との関連がうかがえます。名前をみてみると、「万呂[まろ]」と付く名前が多いことが分かります。大宝律令の編纂に関わったとされる下毛野古麻呂[しもつけのこまろ]がいるように、当時流行の名前だったのかもしれません。これらの氏名以外にも、押印された文字瓦や役職を刻んだ文字瓦なども見つかっています。
順位 | 氏 | 氏の読み | 名 | 出土数 |
1位 | 酒マ・酒 | さかべ | 得足・万呂・建工・毛人・男諸・金万呂など | 363 |
2位 | 雀マ・雀 | さざきべ | 男・乙・小酒・牧男・古万呂など | 228 |
3位 | 丈マ・丈 | はせつかべ | 忍万呂・臣・田万呂 | 108 |
4位 | 白マ・白 | しらべ | 毛人・立万呂・玉支・若万呂など | 96 |
5位 | 木マ・木 | きべ | 毛人・小龍・古万呂など | 89 |
6位 | 大麻マ・大麻 | おおおみべ | 古万呂・猪万呂・若古など | 88 |
7位 | 神主マ・神主 | こうぬしべ | 牛麻呂・羊 | 71 |
8位 | 矢田マ・矢田 | やたべ | 安万呂・尓戸・刀良など | 37 |
9位 | 若麻マ | わかあさべ | 毛人 | 30 |
10位 | 川和・川 | かわな | 子万呂・古万呂 | 24 |
※瓦に刻まれた氏名の判読は、今後の新たな研究成果により変更されることもあります。
いろいろな瓦
屋根に瓦を葺くためには、様々な種類の瓦が必要となります。本遺跡で出土した瓦の総量は6トン近くにもなり、そのほとんどは平たい平瓦[ひらがわら]と半円形の丸瓦[まるがわら]と呼ばれる屋根の大部分を占める瓦です。ちなみに、人名はこの平瓦・丸瓦の凸面に刻まれています。屋根の軒先部分にあたる瓦は軒丸瓦[のきまるがわら])・軒平瓦[のきひらがわら])と呼ばれ、型押しによる装飾が施されています。
掲載日 令和6年6月1日
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