栃木県初の女性弁護士 川上 キヨ
川上キヨ氏は上三川町出身の弁護士です。昭和13(1938)年に司法試験(当時は高等試験司法科試験)に合格した日本初の女性弁護士の一人、三淵嘉子氏らの快挙から3年後、司法試験に合格しました。栃木県初の女性弁護士として、宇都宮市内に事務所を構え、民事・刑事の区別なく活躍しました。当時、全国で10名の女性弁護士がおり、川上氏は3番目に資格を取得しました。以後、50年にわたって法曹界で活躍しました。
プロフィール
- 氏名:川上 キヨ(かわかみ きよ)※旧姓菅沼
- 職業:弁護士
- 生没年:明治41(1908)年生-平成7(1995)年没
- 出身地:栃木県河内郡上三川町大字上蒲生
- 趣味:読書、芝居、映画、将棋など
※大学卒業頃の写真
来歴
法律家を目指して
川上キヨ氏は、明治41(1908)年に栃木県上三川町で生まれました。宇都宮女子高等学校に在籍時、学校の先生の勧めで大学に進むことを決め、明治大学女子部(現:明治大学短期大学)へ進学しました。法科本科(現:法学部)にて法律を学び、昭和9(1934)年に卒業しました。卒業から7年後の昭和16(1941)年、高等試験司法科試験(現:司法試験)に合格しました。さらに2年後の昭和18(1943)年、弁護士試験にも合格し、弁護士となりました。当時、全国で10名の女性弁護士がおり、栃木県で第一号、全国でも3番目に資格を取得しました。以後、50年にわたり法曹界で活躍します。
弁護士としての活躍
川上氏は、弁護士資格取得後、宇都宮弁護士会(現:栃木県弁護士会)へ登録し、栃木県初の女性弁護士となりました。宇都宮市内へ事務所を構え、主に少年事件や家事調停に携わり、民事・刑事の区別なく活躍しました。特に非行少年の更生に力を入れており、栃木少年友の会の設立に尽力し、初代会長を務めました。昭和28(1953)年からは東京高等裁判所の調停員を務めました。法律家のような堅苦しさがなく、柔らかな家庭的な弁護士であったといいます。
法曹界以外での活躍
川上氏は、弁護士として活動する傍ら、栃木県教育委員会や栃木県婦人連絡協会など様々な団体で委員を務めていました。女性の社会進出にあたり、下野新聞の昭和31(1956)年1月の教育委員へのインタビューでは、「世間の眼は、まだまだ婦人で役職に就いているものに対して大きな期待を寄せている。男女同権になったと言うが、世間並みの仕事をしていたのでは駄目だし、出しゃばりすぎると憎まれる」と当時の日本人の人権感覚を述べています。
功績
川上氏は、栃木県初の女性弁護士として法曹界での女性活躍の先駆者となりました。また、多方面で活躍しており、法曹界以外の労働関係、婦人団体関係から感謝状や表彰状を多く受けました。昭和53(1978)年には勲五等瑞寶章を受勲し、平成7(1995)年に現職のまま逝去したのち、從六位に叙位されました。
経歴
明治41(1908)年 | 栃木県河内郡上三川町大字上蒲生に生まれる | |
昭和9(1934)年 | 26歳 | 明治大学女子部法科本科を卒業 |
16(1941)年 | 33歳 | 高等試験司法科試験(現司法試験)に合格 |
18(1943)年 | 35歳 | 弁護士試験に合格 栃木県の女性弁護士第一号となる |
25(1950)年 | 42歳 | 栃木県教育委員会の教育委員を務める |
28(1953)年 | 45歳 | 東京高等裁判所の調停委員を務める |
32(1957)年 | 49歳 | 栃木県婦人連絡協議会の副会長を務める |
44(1969)年 | 61歳 | 藍綬褒章を授与 |
47(1972)年 | 64歳 | 栃木少年友の会の初代会長を務める |
53(1978)年 | 70歳 | 勲五等瑞寶章を受勲 |
平成7(1995)年 | 87歳 | 逝去 のち從六位に叙位 |
(参考・引用)
- 上三川町文化財研究会報第22号(平成23(2011)年4月28日)
- 下野新聞雷鳴抄(令和6(2024)年4月4日)