近代日本の発展を支えた発明家 野澤 一郎
野澤一郎氏は上三川町出身の発明家です。学校の体育館の建設などに多く使われている空間構造技術「ダイヤモンドトラス」を開発し、立体構造建築の第一人者として近代日本の発展を支えました。この技術は、東京スカイツリーの建設にも使用されており、野澤氏の設立した巴コーポレーション(設立時:巴鐵工所)がその建設に携わっています。栃木県小山市にある巴コーポレーション小山工場の敷地内には、その足跡を記した野澤一郎記念館が建てられています。
プロフィール
- 氏名:野澤 一郎(のざわ いちろう)
- 職業:発明家、(株)巴コーポレーション創業者
- 生没年:明治21(1888)年生-昭和53(1978)年没
- 出身地:栃木県河内郡上三川町大字東汗
来歴
発明家としての功績
野澤一郎氏は、明治21(1888)年に栃木県上三川町で生まれました。本郷小学校(現:本郷中学校)、真岡中学校(現:真岡高校)を卒業後、18歳の時に単身上京し、東京高等工業学校(現:東京工業大学)へ進学しました。卒業から7年後の大正6(1917)年、29歳の時に巴鐵工所(現:(株)巴コーポレーション)を設立しました。
野澤氏は、持ち前の旺盛な研究心で立体構造建築の分野で数々の発明を生み、送配電用鉄塔・鉄柱の開発などで会社は急成長しました。昭和7(1932)年には、全国の体育館や倉庫で用いられている空間構造「ダイヤモンドトラス」を発明しました。このほかにも数多くの発明を行い、日本の科学技術の発展に多大な貢献をしました。
(左:ダイヤモンドトラス構造/右:上三川小学校体育館のダイヤモンドトラス)
郷土を愛した人
野澤氏は故郷をとても大切にした人物で、母校である本郷中学校や真岡高校の後輩達の教育に尽力しました。昭和32(1957)年には私財を投じて野澤一郎育英会を設立し、その翌年には本郷中学校へ体育館を寄贈しています。その功績を称えて、真岡高校には胸像、本郷中学校には記念碑が建てられています。このほか、東汗にある高お神社の灯籠と句碑、東蓼沼にある満福寺本堂の天蓋なども寄贈しています。
(左:高お神社にある句碑/右:本郷中学校にある記念碑)
類まれなる趣味人
野澤氏は、発明家としてだけでなく、剣道、スキーなどにも情熱を燃やし、絵画や書の道にも精進する文武両道の人でした。その優れた芸術センスを生かして本郷中学校の校歌の作詞もしており、中学校の玄関には直筆の書がいまでも飾られています。なかでも絵画の腕前は趣味の域を超えており、80歳にして日展初入選を果たし、その翌年にも連続で入選しました。
(左:日展初入選を果たした「富士四合目」/右:本郷中学校校歌の直筆の書)
経歴
明治21(1888)年 | 栃木県河内郡上三川町大字東汗に生まれる | |
27(1894)年 | 6歳 | 本郷小学校(現:上三川町立本郷中学校)へ入学 |
33(1900)年 | 12歳 | 真岡中学校(現:栃木県立真岡高校)へ入学 |
39(1906)年 | 18歳 | 東京高等工業学校(現:東京工業大学)へ入学 |
43(1910)年 | 22歳 | 千代田瓦斯(現:東京ガス(株))へ入社 |
大正6(1917)年 | 29歳 | 巴組鐵工所(現:(株)巴コーポレーション)を設立 |
11(1922)年 | 34歳 | 「巴ポール」を開発 |
昭和7(1932)年 | 44歳 | 「ダイヤモンドトラス」を開発 |
9(1934)年 | 46歳 | 「無足場式骨組法」を開発 |
28(1953)年 | 65歳 | 「ダイヤモンドシェル」を開発 |
31(1956)年 | 68歳 | 紫綬褒章を授与 |
32(1957)年 | 69歳 | 財団法人野澤一郎育英会を設立 |
39(1964)年 | 76歳 | 勲四等旭日小綬章を受勲 |
46(1971)年 | 83歳 | 勲三等旭日中綬章を受勲 |
53(1978)年 | 90歳 | 逝去 |